佐野吉彦(安井建築設計事務所 代表取締役社長)

三鷹天命反転住宅 西側から見た外観 撮影:中野正貴 画像提供:荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所 *のみ筆者提供
三鷹天命反転住宅 西側から見た外観 撮影:中野正貴 画像提供:荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所 *のみ筆者提供

三鷹に⾄る軌跡

荒川修作(1936-2010)は25歳で日本を離れ、ニューヨークを拠点として活動した。アーティストとして出発した荒川は、1963年以降は詩⼈マドリン・ギンズとともに<意味のメカニズム>プロジェクトを開始する。そうして、旺盛な活動を通して美術の境界を問い直し、活動・思索領域を拡⼤し続けた。平芳幸浩⽒によれば、「⼀連の<意味のメカニズム>は絵画に「意味」を持ち込んだのではなく、意味が⽣成し消滅するメカニズムを「絵画」という知覚の場で問い直す試みとして理解しなければならない」(*1)のだという。私はその後1991年に⽇本で開催された<荒川修作の実験展―⾒る者がつくられる場>を訪ねたが、会場には、鑑賞者の知覚や触覚を問い直すさまざまな表現が待ち構えていた。荒川の仕掛けはまさに「観者を「意味」へと誘うイメージの乱舞ではなく、いまだなお現前しない未来へと開放された⽩紙状態である」(*1)と⾔うにふさわしいものだった。荒川が⼈間の知覚と世界との関係を明らかにしようとするにあたり、すでにそれは思索だけでは解けないし、2次元では限界があることを⽰していた。その時期から荒川の作品は3次元に向かい、さらに展覧空間から離れて建築や都市を創造する実践に眼差しを拡げた。1990年に⼊って荒川は岐⾩県下の<養⽼天命反転地>(1995)を実現に導き、⼈が空間を体験する場を世に問うた。続く<東京臨海部に描いた都市構想>(1998)で都市の再編をテーマに据える。これらの作業に共通する⽣涯にわたる「天命反転(Reversible Destiny)」の理念の基盤が醸成されていった。あらたな視点からつくられる建築や都市がコミュニティと⼈の運命を前向きに変えてゆく場をつくろうとしたのである。

ここまでのところは、ランドスケープ的な視⾓からのアプローチであったと⾔えるだろう。荒川は、そこからさらに掘り下げをおこなう。⼈がある空間と時間のなかで時間をかけて過ごす経験のなかに、⼈間の知覚、⾝体と世界の関係をより精妙に捉えることができる、との観点から、荒川の関⼼は住宅建設の実践へと駒を進めることになる。国内における<志段味循環型モデル住宅>(名古屋市2005)、それに続く<三鷹天命反転住宅>(三鷹市2005)への展開である。

 

建築と都市への眼差し

志段味循環型モデル住宅 資料提供:名古屋市住宅供給公社
志段味循環型モデル住宅 資料提供:名古屋市住宅供給公社

志段味でのチャンスは荒川の出⾝地である名古屋市から与えられたものだ。志段味は名古屋市域の⻄北の「都市のエッジ」にあり、開発整備が進む途上にあった。荒川は、住宅は集合体であるべきで、それが集まって群をなし都市をつくるものと考える。そこに込められていたエコロジカルな視点は、名古屋市と名古屋市住宅供給公社の望むところと重なっていた。実際には、実現したのは3棟の住宅が集合したに過ぎないが、それは荒川が構想するもののエッセンスが明瞭なメッセージを伴って姿を現した画期的な局⾯と捉えることができるだろう。ここでの試⾏は<三鷹>への道を確実に⽤意したのである。

 

次の<三鷹天命反転住宅>では、⺠間プロジェクトとして、荒川⾃⾝が資⾦調達をおこなったものである。三鷹は東京の都⼼からみれば志段味と同じく「エッジ」であるが、多摩という、歴史と個性を備えた地域という違いがある。その⾵景のなか、建築の⾼さに制限があるなかで、さらりとした置きかたながら、建築はこの⾵景のなかで完結した装いを獲得した。ここでは志段味では実現しえなかった、9⼾の住宅相互の⽴体的な関係性が明⽰されることになった。さらに、交通量の多い道路に⾯する⾊彩豊かな住宅群は、鋭いメッセージ性を持つ。敷地にこれ以上の広がりはないかわりに、次の展開・伝播を予感させる恵まれた場所を得ることができた。

住宅の基本型は、DK機能を含む中央ゾーンを2(あるいは1)居室、1球体の居室、バストイレ室が取り巻くものである。中央ゾーンは凹凸を伴う床であり、遊具のようにも⾒えるはしご状の⾦属柱などがある。それらは⾝体と知覚における社会的前提を軽やかに乗り越えるためのものだ。そこに過ごす者は、知覚と⾝体が建築と相互反応することによって、⼤きな意識転換を促される。安定した関係性ももちろん悪くはないが、関係性が緩んでしまえば、⾝体の感覚も知覚も鈍くなってしまうではないか、という問いかけがある。これは本来、緊張感をはらむ問いなのだが、この空間も、また外観も率直な愉悦を感じさせる仕上がりであるところが興味深い。あたりまえながら、造形としてすぐれているのである。訪れる⼈も住まう⼈も、荒川修作が⽤意した空間を、⼼から楽しみながら⾝体を取り巻く⾃在な⾯に、触覚も知覚もごく⾃然に反応している。

<三鷹>は、荒川がさまざまな機会に、⾝体と知覚について厳格に問うてきた道のりが、しなやかなかたちで結晶化したものと呼べるだろうか。もともと、建築のありようを問い直す⽬標は荒川の出発点にはなかった。ところが、ここに⾄って建築計画とはいかなるものか、建築が果たすべきミッションというものを、えぐり出す結果が⽣まれている。それは、建築とは⾝体の感覚を研ぎ澄ませるものであるべきで、適切につくられた建築を通して、⼈の⾝体を正しい⽅向に変化変容させる、というミッションである。

では、荒川にとっての適切さとは何だろうか。それは⾔葉によってかたちのあるべき姿を深く考えることと、実践としてかたちをつくることとのあいだに⼀貫性があることである。造形表現と⾔葉を並⾛させるところからスタートした荒川は、表現⼿段を2次元から3次元、建築都市に広げるなかで、時に強いかたちを提⽰しながら、⽣気の⾜りない⾔葉にも⾎を通わせる原則を守ってきた。

1.入り口のある北側から見た外観 2.住宅のエントランスから見た外観 (ともに撮影:中野正貴)
1.入り口のある北側から見た外観 2.住宅のエントランスから見た外観 (ともに撮影:中野正貴)

建築を実現するプロセスについて

荒川の眼差しのもとに完成した「作品としての<三鷹>」を解説すると以上のとおりである。だが、⼤事なのはそれを実現するプロセスである。荒川が⽬指すものを建築として具現化するには、建設のための予算を確保し、経済合理性のなかで建築を⽣産すること、限度ある⼟地のなかに建築基準法と構法の制約のもとに建築を設計すること、建設に携わる者に正しいモチベーションを与えて、かたちの実現に導くこと、などさまざまを整えなければならない。表現者として軸がぶれなくても、建築の専⾨家ではない荒川がプロジェクトを前に進めるには、これらに伴う現実の壁の意味をひもとくなかで、実現のための冷静な協⼒者を据えることは必要があった。

縁あって、私と安井建築設計事務所は<志段味>建設の段階から荒川のために⼒を貸すことになった。荒川の眼差しを図⾯という社会的形式に置きなおし、⼀⾒チャレンジングに⾒えるプロジェクトをマネジメントすることが役割である。その途上で、宙空に浮かぶかのような⽴体住宅を正統的なラーメン構造で解き、効果的な建築⽣産プロセスの⼿順を計画した。建築側から⾒ればオーソドックスな落とし込み⽅である。だが、いざスタートしてみると、荒川の造形は現実の困難を克服し、関わる者の潜在的な能⼒を引き出し、かつ化学変化を起こす牽引⼒になった。

ものごとの本質をつきつめる荒川と、愉悦を感じさせる場を⽬指す荒川が⼀体不可分であることは、きわめてわかりやすいロジックである。⼯事に携わる専⾨家は技術に誇りを持っているから、⾃らが腕を奮うにあたっての明瞭なモチベーションは重要である。施⼯者にとって表⾯をうならせた床は彼らの常識にないはずだが、それを荒川の意図と交わらせてゆくことによって建築部位が有する本質を再発⾒する。おそらく、建設プロセスにもあるドラマティックな意識転換のプロセスは、荒川が⽬指してきた「実践」になっていたのではないか。結果的に荒川は<三鷹>において⼟地と出会い、社会と回路を結び、⼈を動かすことに成功したことで、⾃らの取組みに確信を持つことができた。<三鷹>は、意味のメカニズムの時期からの延⻑線上でもあり、新境地となった。

1.全部で66ピースからなるPCaユニットの取付工事が完了。球体・立方体・円筒を3層積み上げて一体化し巨大な柱に。コンクリートの柱は現場で打設した 2.塗装される14色を決定するため計6回の色校正、協議を行った。塗装は外壁だけでなく、内壁、共有スペースの階段、エレベーターに至るまで施されている 3.定例会議の風景。着席左端が荒川修作氏。となりは荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所代表の本間桃世氏。 4.3LDK:球体のスタディルーム、立方体の畳部屋と寝室、円筒のバスルームからなる。これらの部屋を真ん中でつなぐのはリビング・ダイニングルーム 2LDK:3LDKの間取りから立方体の畳部屋をなくしたタイプ
1.全部で66ピースからなるPCaユニットの取付工事が完了。球体・立方体・円筒を3層積み上げて一体化し巨大な柱に。コンクリートの柱は現場で打設した 2.塗装される14色を決定するため計6回の色校正、協議を行った。塗装は外壁だけでなく、内壁、共有スペースの階段、エレベーターに至るまで施されている 3.定例会議の風景。着席左端が荒川修作氏。となりは荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所代表の本間桃世氏。 4.3LDK:球体のスタディルーム、立方体の畳部屋と寝室、円筒のバスルームからなる。これらの部屋を真ん中でつなぐのはリビング・ダイニングルーム 2LDK:3LDKの間取りから立方体の畳部屋をなくしたタイプ

荒川修作の取り組みは、さらに続く

竣⼯から5年経って荒川は亡くなり、そこからさらに7年が経過した。それでも<三鷹天命反転住宅>における荒川の追究は、その後も多くの⼈々に受け継がれて続いている。⼀つは三鷹天命反転住宅をはじめ荒川アーカイブを守る荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所の継続的な努⼒によって。かれらはこの集合住宅を細やかに管理しながら、作品としての価値を伝え、投げかけた課題を社会に伝える役割を果たしている。ワークショップ、⾒学会、講演会などが、<三鷹>に住まうさまざまな才能を持つ住⺠が加わりながら、切れることなく取り組みが続いている(*2)。もう⼀つは、荒川と交友があった幅広い分野の学究によって。三鷹に⾄る荒川の追究を検証する個別の著作に加え、関⻄⼤学での「荒川+ギンズ[建築する⾝体]をめぐる考察」研究ユニットのような学際的な取り組みも進んでいる。それらは荒川による提⽰のさらなる展開を⽣み出す⼤事な作業である。もう⼀つは<三鷹>への世界中からの訪問者によって。訪れるそれぞれは空間を楽しみながら、荒川を偶像化せず、⾝体と世界とのあいだに横たわる⼤きな課題に向きあい、触発を受けている。<三鷹天命反転住宅>は波動のように広がる、⽂化の中枢拠点としても成⻑が続いているのだ。

1.2007年3月17日〜4月7日 目黒区美術館からだのワークショップ@三鷹天命反転住宅 courtesy of Meguro Museum of Art, Tokyo+Sumiko Okagawa 2.2008年7月19日 早稲田大学課外授業(講師:塚原史、JOU) 3.2013年2月23日 天命反転トーク 鈴木健に聞く(聞き手:森田真生) 4.2015年9月27日 10周年記念イベント 天命反転トーク 小林康夫✕池上高志 5.2015年9月23日 10周年記念イベント たまちゃんのにっこり寿司 presents 『ネコは家に付く』こころのねこワークショップ 6.荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所の本間桃世氏と松田剛佳氏
1.2007年3月17日〜4月7日 目黒区美術館からだのワークショップ@三鷹天命反転住宅 courtesy of Meguro Museum of Art, Tokyo+Sumiko Okagawa 2.2008年7月19日 早稲田大学課外授業(講師:塚原史、JOU) 3.2013年2月23日 天命反転トーク 鈴木健に聞く(聞き手:森田真生) 4.2015年9月27日 10周年記念イベント 天命反転トーク 小林康夫✕池上高志 5.2015年9月23日 10周年記念イベント たまちゃんのにっこり寿司 presents 『ネコは家に付く』こころのねこワークショップ 6.荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所の本間桃世氏と松田剛佳氏*

(*1)「永遠のタブラ・ラサ」(「三鷹天命反転住宅」、⽔声社2008 所収)

(*2)三鷹天命反転住サイトを参照 www.rdloftsmitaka.com

 

 

佐野吉彦

東京理科大学工学部建築学科卒業、同大学院修了。安井建築設計事務所代表取締役社長。日本建築士事務所協会連合会副会長、大阪府建築士事務所協会会長、東京理科大学工学研究科客員教授ほか。2011年国土交通大臣表彰、2016Hon.FAIA(アメリカ建築家協会名誉フェロー会員)。著書に『建築から学ぶこと』水声社、『つなぐことで、何かが起こる−建築から学ぶことII』建築メディア研究所など

 

初出:建築ジャーナル No.1273 2017年12月号

Author: Yoshihiko Sano, President, Yasui Architects and Engineers, Inc.

三鷹天命反転住宅 西側から見た外観 撮影:中野正貴 画像提供:荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所 *のみ筆者提供
Reversible Destiny Lofts MITAKA Exterior view from the west side, Photography: Masataka Nakano, Photos provided by: Arakawa + Gins Tokyo Office, Those marked “*” are provided by the author

The Path Reaches Mitaka

When Shusaku Arakawa (1936 – 2010) was 25, he left Japan and made New York the center of his work. Arakawa started out as an artist, and in 1963 he began “The Mechanism of Meaning” project with the poet Madeline Gins. His vigorous work led him to renewed questioning of the boundaries of art, and Arakawa carried on expanding the scope of his activities and thoughts. According to the art historian Yukihiro Hirayoshi, “The ‘Mechanism of Meaning’ series didn’t seek to bring ‘meaning’ into pictures. Instead, it must be understood as an endeavor to use the sensory forum of a ‘picture’ to take another look at the mechanism by which meaning is created and destroyed.” *1

Later, I visited the “Constructing the Perceiver – ARAKAWA: Experimental Works” exhibition, which took place in Japan in 1991. In the venue waited various expressions that re-questioned the observer’s aesthetic and tactile senses. It was fair to describe Arakawa’s works as “a tabula rasa open to a future that has yet to appear, not a wild dance of images that invite the perceiver to reach for ‘meaning’.” *1 In trying to clarify the relationship between human aesthetic senses and the world, Arakawa was already showing that it would not be unraveled by thought alone, and that there are limits to two dimensions.

Around that time, Arakawa was setting his works toward three dimensions, and he was moving away from exhibition spaces, as he widened his vision to practical efforts to create buildings and cities. Entering the 1990s, Arakawa led “Site of Reversible Destiny Yoro Park” (1995) to realization in Gifu Prefecture, challenging society with a venue for people to experience space. Next, in “Sensorium City” (1998) he made the theme the reorganization of cities. These works laid the foundations of the “Reversible Destiny” concept which was his lifelong theme. Arakawa was trying to create a place where buildings and cities built from a new perspective would shift communities and people’s destinies into positive directions.

His approach up to this stage could be described as coming from a landscape perspective. Then Arakawa dug even deeper. Arakawa’s concern was moving forward to the practical construction of homes, led by his perspective that as people experience the passage of time in a given space and time, the relationship between human aesthetic senses, their bodies, and the world can be grasped with more subtle detail. In Japan, he progressed to “External Gene House, Shidami” (Nagoya, 2005), and then to “Reversible Destiny Lofts MITAKA – In Memory of Helen Keller -” (Mitaka, 2005).

 

Vision Towards Buildings and Cities

志段味循環型モデル住宅 資料提供:名古屋市住宅供給公社
External Gene House, Shidami (2005). Material provided by: Nagoya City Housing Supply Corporation

Arakawa was given his chance in Shidami by Nagoya City, his birthplace. Shidami is situated on the northwestern edge of Nagoya City’s urban area, and was under development. Arakawa’s concept is that homes should be aggregate bodies, and that groups of them coalesce to form cities. The ecological perspective he incorporated into the idea coincided with the aspirations of Nagoya City and Nagoya City Housing Supply Corporation. What was actually built didn’t go beyond a group of three residential buildings, but it can be seen as an epoch-making scene that revealed a form accompanied by a message that clearly conveyed the essence of Arakawa’s concept. His effort in Shidami certainly paved the road to Mitaka.

Reversible Destiny Lofts Mitaka, his next work, was a private-sector project for which Arakawa himself obtained funding. Seen from central Tokyo, Mitaka is out on the “edge” in the same way as Shidami, but it is different in having the individuality and history of the Tama region. Within the scenery of the area, and building height restrictions, the buildings achieved a complete and self-contained look with a smooth layout. This project clearly demonstrated the three-dimensional relatedness between the nine homes, in a way that could not be achieved in Shidami. This group of vividly-colored homes facing a heavily-trafficked road also carried a cutting message. The site could not provide more area than this, but it had a favorable location that gave a presentiment of further extension and propagation.

The basic form of the homes consists of one or two living rooms in the central zone, which holds the dining and kitchen functions, one spherical living room, and a bath/toilet room. The central zone has an irregular floor, a ladder-shaped metal pillar that resembles playground equipment, and other elements. These elements easily leap over social assumptions in bodies and sensibilities. Those who spend time there are encouraged to reach major awareness shifts through the mutual reactions between their bodies and sensibilities and the building. Of course, having a stable relatedness is not a bad thing, but there is also the question of whether a slackening of that relatedness would dull the body’s senses and aesthetic sensibilities. That is a question that should be pregnant with tension, and this space and its outer appearance are finished in a way that makes one feel a straightforward joy. Naturally, it is also superb as a sculptural form. Residents and visitors deeply enjoy the spaces provided by Shusaku Arakawa, as their tactile and aesthetic senses very naturally react to the free surfaces that surround their bodies.

Can we call Mitaka the crystallization, in a supple form, of a path by which Arakawa takes various opportunities to strictly question bodies and senses? Basically, Arakawa himself did not start with the aim of re-questioning how buildings should be, but the process of devising the Mitaka Project, and clarifying the mission that architecture should accomplish, naturally led him to the result in Mitaka. This is for the reason that a building should be something that hones the physical senses, and the mission is to transform people’s bodies in the right directions though properly-constructed buildings.

So, what did Arakawa see as “proper”? That would be consistency between deep thought, in words, about the right form to aim for, and building forms in practice. Arakawa started from making formative expression and words run side by side, and his modes of expression broadened from two dimensions to three, and on to buildings and cities. In the process, he stuck to the principle of making blood flow through dry words as he sometimes put forward forceful forms.

1.入り口のある北側から見た外観 2.住宅のエントランスから見た外観 (ともに撮影:中野正貴)
1.Exterior view seen from the north side, where the entrance is located. 2.view seen from the home entrance. Photography: Masataka Nakano

The Process of Materializing a Building

“Mitaka,” as a work of art completed in line with Arakawa’s concept, can be described and explained as above. But what’s important is the process for actually creating the architecture. For Arakawa to manifest his aims as a building, he needed to line up all kinds of things, such as securing the budget for construction, producing architecture within the constraints of economic rationality, designing buildings under the constraints of the Building Standards Act and building systems, providing the people collaborating in construction with proper motivation, and leading to the realization of concrete forms. Even if his very principle as an expressive artist was unshaken, for Arakawa, who was not an expert in architecture, to move the project forward, he had to unravel the meanings of the real walls that accompanied the work, and find cool-headed partner to realize the project in the process.

Arakawa had a previous connection with Yasui Architects and Engineers, Inc., which led to the firm assisting him from the construction stage of “Shidami.” The firm’s role was to translate Arakawa’s vision into the social form of drawings, and manage a project which appeared challenging at first glance. In that process, we solved what seemed to be houses made of solid shapes floating in space into orthodox moment frames, and planned the steps of an effective building production process. From the point of view of construction, this is an orthodox translation process. But once we got started, Arakawa’s sculptural forms became the driving force in overcoming the practical difficulties, bringing out the latent abilities of the people involved, and triggering chemical changes.

There is an extremely clear logic to the indivisible unity between the Arakawa who pierces to the essential nature of things and the Arakawa who aims to create places that make people feel joy. Experts working in construction have their pride, so it is critical to give them clear motivation to use their abilities to the full. For instance, the floor with the undulating surface might be a free, out-of-the-box concept to the people building it, but that clearly intersects with Arakawa’s intention. It reveals the essential nature which each architectural element should have. The process of dramatic perceptual shifts which also emerged in the construction process were probably the kind of “practical execution” that Arakawa had been long aiming for. As a result, Arakawa encountered the land at “Mitaka,” joined paths with society, and succeeded in moving people, which gave him a solid confidence in his own efforts. Reversible Destiny Lofts Mitaka became a novel phase that paves the way for Arakawa himself, but it also lay on the same straight line that extended from his “Mechanism of Meaning” days.

1.全部で66ピースからなるPCaユニットの取付工事が完了。球体・立方体・円筒を3層積み上げて一体化し巨大な柱に。コンクリートの柱は現場で打設した 2.塗装される14色を決定するため計6回の色校正、協議を行った。塗装は外壁だけでなく、内壁、共有スペースの階段、エレベーターに至るまで施されている 3.定例会議の風景。着席左端が荒川修作氏。となりは荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所代表の本間桃世氏。 4.3LDK:球体のスタディルーム、立方体の畳部屋と寝室、円筒のバスルームからなる。これらの部屋を真ん中でつなぐのはリビング・ダイニングルーム 2LDK:3LDKの間取りから立方体の畳部屋をなくしたタイプ
1.The work of mounting PCa units consisting of a total of 66 pieces was complete. Spheres, cubes, and cylinders were stacked on three levels and united to form giant pillars. Concrete columns were poured in situ. 2.A total of six color checking and discussion sessions were needed to decide on the 14 painted colors. Other than the exterior walls, the interior walls, shared staircases of the common room, and elevators are also painted. 3.A regular meeting. Shusaku Arakawa is seated farthest to the left. Next to him is Momoyo Homma, representative of Arakawa + Gins Tokyo Office. 4.3-bedroom plan. It consists of a spherical study room, cube tatami room and bedroom, as well as cylindrical bathroom. The central living-dining room joins these spaces together. 2-bedroom plan. This type has the tatami-floored cube room removed from the 3-bedroom plan.

Shusaku Arakawa’s Efforts Still Continue

Arakawa died seven years ago, five years after the project was completed. Nevertheless, many have since picked up the baton of what Arakawa was pursuing with Reversible Destiny Lofts Mitaka. One example is the ongoing work by Arakawa + Gins Tokyo Office to protect “Mitaka” and the rest of the Arakawa archive. As they manage this housing complex in great detail, they are also serving to convey its value as a work of art, and to present the issues it raises to society. Various highly able residents of “Mitaka” run an endless succession of workshops, tours, symposia, and other events*2. Another way Arakawa’s work is carried on is through academic research in the broad-ranging fields he was involved in. In addition to individual writings examining Arakawa’s investigations that led him to Mitaka, there are ongoing academic endeavors such as the Arakawa + Gins Examination of “Studies of the Architectural Body” research unit at Kansai University. These are important works that generate further progress in the ideas that Arakawa put forward. The third way his work carries on is through the very people who come from around the world to visit the Reversible Destiny Lofts Mitaka. While enjoying the spaces there, but without idolizing Arakawa, each visitor confronts, and is touched by, the great issues which span the border between the body and the world. Reversible Destiny Lofts MITAKA continues to act as a core cultural site, spreading like ripples.

1.2007年3月17日〜4月7日 目黒区美術館からだのワークショップ@三鷹天命反転住宅 courtesy of Meguro Museum of Art, Tokyo+Sumiko Okagawa 2.2008年7月19日 早稲田大学課外授業(講師:塚原史、JOU) 3.2013年2月23日 天命反転トーク 鈴木健に聞く(聞き手:森田真生) 4.2015年9月27日 10周年記念イベント 天命反転トーク 小林康夫✕池上高志 5.2015年9月23日 10周年記念イベント たまちゃんのにっこり寿司 presents 『ネコは家に付く』こころのねこワークショップ 6.荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所の本間桃世氏と松田剛佳氏
1.Meguro Museum of Art, Body Workshop @ Reversible Destiny Lofts Mitaka, March 17 to April 7, 2007 courtesy of Meguro Museum of Art, Tokyo + Sumiko Okagawa 2.Waseda University extracurricular lesson (Lecturers: Fumi Tsukahara, JOU), July 19, 2008 3.Reversible Destiny Talk, A Talk with Ken Suzuki (Interviewer: Masao Morita), February 23, 2013 4.10th Anniversary Talk Event, Reversible Destiny Talk, Yasuo Kobayashi and Takashi Ikegami, September 27, 2015 5.10th Anniversary Event, Tama-chan presents: Smiling Sushi Roll Workshop! “The Cat Joins the House” Heart Kitten Workshop, September 23, 2015 6.Momoyo Homma and Takeyoshi Matsuda of Arakawa + Gins Tokyo Office*

*1: “Eternal Tabula Rasa” (“Reversible Destiny Lofts MITAKA – In Memory of Helen Keller -” Suiseisha, printed in 2008)

*2: See the Reversible Destiny Lofts Mitaka website www.rdloftsmitaka.com

 

 

Yoshihiko Sano

Graduated Tokyo University of Science Faculty of Engineering, Department of Architecture. Completed Graduate School at the same University. President of Yasui Architects and Engineers, Inc.

Vice president, of the Japan Association of Architectural Firms, president of the Osaka Association of Architectural Firms, visiting professor in the Engineering Research Faculty of Tokyo University of Science, etc. Minister of Land, Infrastructure, Transport and Tourism Commendation 2011, 2016 Hon. FAIA ( Honorary Fellow, the American Institute of Architects). Written works include “Learning from Architecture” (Suiseisha) and “Tsunagu-kotode-Nanikaga-Okoru, Learning from Architecture II” (ArchiMediaSystem Inc.)

 

Originally published in Japanese in KENCHIKU Journal No.1273, December 2017 issue. Translated and republished here with permission from the author.